目先の損得に心を奪われない
善悪定め難し
それは100年経っても「善」なのか
目先の損を受けたくないために、粉飾決算を行ったり欠陥を隠蔽したり企業スキャンダルがある
初めは少しくらいデータをいじっても大丈夫だろうと軽い気持ちから始まり、後戻りできなくなってくる
そんな時にこの言葉を思い出す必要がある
十年、百年経っても、今やろうとしてることは善といえるだろうか
いま善と思ったことがあとになって悪となる場合もあるし、いま悪と思ったことがあとになって善となることもある。物事の善悪というものを、今この時に判断するのは難しい
つまり、距離をおいた視点から、物事の良し悪しを見ることが大事である
京セラ創業者の稲盛和夫さんは、新しい事業を始めるときに自問自答する
「自分の利害だけでやろうと判断しているのではないか。そこに私心はないか。本当に世の中のためになるか。人々のためになるのか。十年、百年たっても、みんなによかったといわれることなのか。」
リーダーにとって目先の損得ではなく、長期的な目線で世の中や人々の役に立つのか、将来の会社の損害価値を考えると必要がある
何かを判断する必要がある時、目先の損得に心が奪われそうになったら「善悪難定」を思い出してみる
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